2018.04.28

【断捨離】「モノ軸思考」の人はいつまでも捨てられない!

こんにちは
町の引越し屋さんです。
 
前回、断捨離の本当の意味についてお話しました。
 
●関連記事
【断捨離】実はただ捨てるだけじゃない!断捨離の本当の目的と真意
 
断捨離は自分の人生を好転させていくきっかけになる効果がありますが、
それを知ってもなかなか実践できないという声も良く聞きます。
 
それはなぜかと言うと、
「モノを捨てることができない」からです。
 
モノを持ちすぎていると自覚があるのに、
 
いざ断捨離を始めると「なかなか捨てることができない」、
または、「何を捨てればいいのか自分でよく分からない」と言う声を聞きます。
 
なので今回は「なぜ私たちはモノを捨てれないのか?」
という、私たちとモノの関係性についてまとめました。
 

モノが溢れやすい社会で生きる私たち

断捨離
 

モノやガラクタに溢れて暮らす

 
ものが容易に手に入る現代では
 
「ガラクタ」で溢れて溜め池のようになっている家に住んでいる人が沢山います。
 
「お得」「貴重」「ないと困るよ」「あると便利」という風なPRに流されてついつい手に入れていませんか?
 
私たちは「消費社会」という大きな流れからモノを仕入れています。
 
そのため、本来ならその入り口にあるはずの「断」の蛇口は緩み、
出口にあるはずの「捨」は硬く閉じられたままになっています。
 
勿体無い、面倒だ、いつか使うかもしれない・・・という気持ちが「捨」の蛇口を閉ざしたままにしてしまうのです。
 
そうなると当然ですが、循環が起こらないため淀んだ生活空間になってしまいます。
 
人間に例えると、
 
人の身体は代謝が落ちると、本来なら排出されるはずの毒素が出ていかず溜まっていきますね。
 
生活習慣の乱れから、皮膚、血管、内臓、老廃物が溜まります。
 
そういった老廃物が未病(病気の前段階)を引き起こして、いずれは病気を発症します。
 
ですが病気を発症するまで未病には気がつきません。
 
人の体を解毒する方法の1つに【ファスティング(断食&デトックス)=捨】があり、
代謝しきれず老廃物でいっぱいになった体内を浄化する効果があります。
 
このように人の場合は排泄作用を促し、新陳代謝のメカニズムを向上するとデトックスされますが、
 
モノの場合は私たちが動かし運ばなくてはいけません。
 
モノには健康、未病、病気のラインはありませんね。
 
自分では当たり前になっているモノの量が、病気に等しい重量になっている可能性もあるのです。
 
いざモノと向き合うと、1日どころか1週間かかっても処分できないほどのモノに囲まれていてもそのまま過ごせてしまいます。
 
押入れや収納棚を開けてモノを取り出したり、掘り起こさなくてはいけないのですが、
 
「そんなことをしたらモノで溢れてしまう」
「余計に散らかってしまうのでは・・・」
 
という目を背けている部分と向き合う不安や心配から、なかなか始めることができないのです。
 

望まなくてもモノが入ってくる日本の社会

 
モノに溢れた家の中を見るとつい
「なんでこんなに買ったんだろう」「なんでこんなに溜め込んだんだろう」
 
という風に自分のことを責めたくなるのですが、
これは私たちが暮らしている社会的な要因も大きく関わっています。
 

消費社会ゆえの圧倒的なモノの量

 
私たちの社会は「超消費社会」です。
基本的に「使ったら買い換える」ことが前提にあります。
 
その流れに対応するため、モノは大量に生産され、流通されています。
 
過剰に流通されている物質的な要因です。
 

住空間への考察が足りていない

 
部屋のコーディネートや収納術、整理術の知識はどんどん取り入れているのに、
肝心の「自分が快適だと感じる適正なモノの量」がわかっていない人もとても多いです。
 
自分の住空間とモノのバランスの考察が曖昧、もしくは全く配慮されていないのです。
 

ひと昔前の価値観を引きずっている

 
日本にもモノが足りない時代がありました。
 
そういう時代に生きていると「勿体無い」「モノは粗末にしてはいけない」「まだ使えるかもしれない」
という価値観が形成されるのはごく自然なことです。
 
その価値観を持つ世代から教育を受けると、モノに対しても同じような価値観を引き継ぎます。
 
これはどちらかというと観念的な要因ですね。
 
ですがちょっと待ってください。
 
確かに、モノは大事にする、粗末に扱わないというのは大事ですが、今の社会はモノに溢れているのです。
 
入ってくるもの全てを受け入れていては、あっという間に淀んでしまいます。
 
現代社会では。きちんとモノは「取捨選択」をしていかなくてはいけません。
 

買わせることに躍起になる消費社会

 
消費社会はできるだけたくさん、できるだけ頻繁に買ってもらうことで成り立つので
「どうやったら買ってもらえるのか?」という工夫が社会全体でされています。
 
ですから企業は通販、DM、キャンペーン、セール、CMなどを通して、
 
本来なら購入しようと思っていなかった「ない需要」を「〇〇が欲しい!」と購買意欲を生み出すことに力を入れています。
 
そして購買意欲を掻き立てられた消費者が購入する、というのが消費社会の流れです。
 
最終的に買うor買わないの選択は消費者自身が行なっているのですが、
 
ついつい入り口の「断」の蛇口が緩みがちになり
押入れが、収納棚が、キッチンが、洗面所が、クローゼットがモノで溢れていくのです。
 

モノ軸思考でいる限り片付かない

モノ軸思考
 
私たちはモノが溢れやすい環境で生活しているのは事実ですが、もっと本質的に改善が必要な要因があります。
 
この部分が改善されないと、いくら気をつけていても、あっという間にモノは溢れます。
 
逆に言えば、本質的な部分が改善できれば、社会がたくさんのモノで溢れていても
本当に自分の好きなもの、必要なものだけに囲まれて過ごすことができます。
 
むしろ社会にたくさんモノがあるおかげで、自分の好みにできる限り近いものを
容易に手に入れることができ、気分の良い生活が手に入るという利点になります。
 
改善が必要な部分こそ、「モノ軸思考」です。
 

モノに主導権があり、自分を見失う「モノ軸思考」

 
とある学者が発表したデータによると、
人類がこの世に生み出してきた人工物(住宅、道路、ノート1冊に至るまで全てのモノ)は
総量30兆トンになり、そのほとんどが20世紀を迎えてから生産されています。
 
それ以前のずっと長い間は、圧倒的なモノ不足でモノが貴重な時代が続いていました。
 
そのため、どうしてもモノを前にすると
 
「必要なのか?」ではなく「使えるのか?」というモノに焦点を合わせた視点で捉え、取捨選択してしまう癖があります。
 
これが「モノ軸思考」というモノに主導権がある状態の思考です。
 
結果的に壊れていなければ、または少々の破損ぐらいなら「まだ使えるかもしれない」と思って取っておくという行動になってしまうのです。
 
人は有効性は考えるが必要性を考えない傾向があるとも言われていて、
モノの必要性ではなく、まだ使えるかもという有効性を先に考えてしまうのです。
 
そういったモノ軸思考のまま、モノが溢れる社会になったので、本来なら快適に便利に暮らすために
必要だったモノが生活空間の主導権を握り、住居をパンパンにしているのです。
 
そういう状態で、「家が狭いからモノが溢れている」「探し物がなかなか見つからない」
「部屋が快適じゃない」という風に不平不満を抱えながら生活をしている人が多いのが現状です。
 

まとめ

 
今回は、人とモノの関係性について解説しました。
現代人はイライラを通り越してウツウツしているとも言われています。
 
「子どもが散らかす」
「旦那は片付けない」
「やったもやっても片付かないから嫌になる」
 
と、イライラしている状態はまだ「怒り」を表現できていますが、
最近ではイライラを超えて、まとった空気が重い、表情や感情に乏しい人が増えています。
 
モノが引き金で、ウツウツした状態になり、それが家族全体に伝染して覇気がないという家庭も多く見られます。
 
使い捨ての箸やスプーン、安売りの時に買い置きしすぎた日常品、雨のたびに買っているビニール傘。
それらが収納率200%で詰め込まれたモノが溢れた家。
 
パンパンに詰まっていて中に何が入っているのか把握できていない収納棚。
一見綺麗に見えて実は、見えない部分はモノで溢れている家。
 
こういった状態を改善するには、正論や方法論ではなく、自分自身でモノが溢れていることに気がつき直視する必要があります。
 
自分を責めることより、自分の本当の心の声に耳を傾けること。
 
もしかすると、「本当は綺麗にしたい」「このままでは良くない」と思っているかもしれません。
自分の素直な声は何だろう?と問いかけてみても良いかもしれませんね。
 



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